普段のデザインや創作活動の中で、AIはとても便利です。
この画像を、もう少しこうしたい。
文章の言い回しを考えてほしい。
Webサイトを作ってみたい。
そんな時、AIはすぐに手伝ってくれます。
私も最初は、AIの価値は「つくること」だと思っていました。
文章をつくる。
画像をつくる。
コードをつくる。
作業を速くする。
もちろん、それだけでも十分すごいです。
でも、ある日ふと気づきました。
AIの価値は、つくることだけではないのかもしれない、と。
きっかけは、「余韻」という言葉でした。
別の相談をしていた時のことです。
AIが、こんなことを言いました。
「あなたなら、こういう使い方もできますね。
それに、“余韻”を大切にする表現が好きですよね。」
その言葉を見た時、少し手が止まりました。
あれ。
なんで、それ知ってるんだろう。
確かに私は、コピーを考える時に「余韻」という言葉をよく使います。
言い切りすぎるより、少し余白を残したい。
説明しすぎるより、読んだあとに何かが残る表現にしたい。
そんな話を、これまで何度もAIに相談していました。
でも、自分ではそこまで意識していませんでした。
AIに言われて、初めて気づいたんです。
もしかしてAIは、完成した文章だけではなく、
自分が大切にしている感覚まで、会話の中から拾っているのかもしれない。
チャットには、制作の途中が残っている。
考えてみると、AIとのチャットにはいろいろなものが残っています。
うまくいかなかったこと。
途中で考えが変わったこと。
何度もやり直したこと。
「ちょっと違う気がする」と迷ったこと。
「こっちの方が自分らしい」と思ったこと。
完成したものだけではありません。
そこにたどり着くまでの途中が、ほとんどそのまま残っていました。
昔は、ブログを書こうと思うと大変でした。
スクリーンショットを探して、
GitHubの履歴を見返して、
メモを読み返して、
曖昧な記憶をたどる。
「あの時、何に困ってたんだっけ。」
「どうやって解決したんだっけ。」
「その時、何を面白いと思ったんだっけ。」
そこを思い出すところから始まっていました。
でも今は、チャットを開けば、その時の会話が残っています。
ただの作業記録ではありません。
悩んでいた自分も、
試していた自分も、
途中で方向転換した自分も、
そこに残っています。
これは、一次情報のログかもしれない。
その時、ふと思いました。
これって、誰かにとって価値のある記録なんじゃないか。
AIについて調べた記事ではありません。
AIの使い方をきれいにまとめた記事でもありません。
自分が実際にAIと作って、
失敗して、
悩んで、
少しずつ分かっていった記録です。
つまり、一次情報です。
最初からそんな大げさなことを考えていたわけではありません。
ただ、AIに相談しながら作っていただけです。
でも、その会話が積み重なるうちに、
「これは残しておいた方がいいかもしれない」
と思うようになりました。
人は忘れる。だから、ログが必要になる。
人は忘れます。
毎日いろいろな仕事をして、
新しいことを考えて、
次の予定に追われていると、
数日前のことでも意外とすぐに忘れてしまいます。
特に忘れやすいのは、結果ではありません。
過程です。
なぜそう考えたのか。
どこで迷ったのか。
どの瞬間に「あ、分かった」と思ったのか。
そういう細かい感覚ほど、時間が経つと薄れていきます。
でも、そこにこそ記事の面白さがある気がしています。
AIとのチャットには、その過程が残っています。
最初はこう思った。
やってみたら違った。
AIと話しているうちに、考えが変わった。
もう一度試してみた。
ようやく分かった。
その流れが残っているから、あとから読み返した時に、その時の自分に会いに行くような感覚になります。
だから、AI実験室が生まれました。
AI実験室は、AIを紹介するブログではありません。
AIと一緒に作ってみたら、何が起きるのか。
どこでつまずくのか。
何が分かるようになるのか。
その過程を残していくブログです。
AIが文章を書いてくれることも便利です。
画像を作ってくれることも、
コードを書いてくれることも、
もちろん便利です。
でも、それ以上に大きかったのは、
AIが、制作の過程を一緒に覚えていてくれることでした。
人は忘れます。
でも、チャットには残っています。
その時の迷いも、
失敗も、
発見も、
自分でも気づいていなかった言葉のクセも。
それは、未来の自分にとっての制作ノートであり、
誰かにとっては、これからAIと何かを作るためのヒントになるかもしれません。
だから私は、このログを記事にしてみようと思いました。
そして気づいたら、
AI実験室というブログが始まっていました。

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